ひとりごと

にしくん適応障害らしいんだけど育児出来るの?っていうブログ

もし

「誰かにとって

見えないどこかで

うまくやっててほしい」

そういう存在である私が

旦那にとっても同等の存在であったとしたら

 

私がここで生きている意味は

果たしてあるのでしょうか?

 

大多数の人間にとって

そういう存在である私が

旦那からもそう思われたとしたら

 

私生きていけないな

 

 

あの人もそうだったのかもね

あの人もだから死のうとしたんだ

私を置いて

その行為が私という存在を

圧倒的に否定するとも知らず

 

だから私は死ねない

あなたのために死ねない

 

あのときの絶望をまだ

たしかに覚えているから