ひとりごと

にしくん適応障害らしいんだけど育児出来るの?っていうブログ

きれいごとはきれいであらねばならない

いたい

こわい

でもみんなと居られなくなる方が

もっとこわいから

絶対に逃げない

 

某変身ヒロインアニメを

旦那と子供たちが借りてきて

子供と一緒に見てたのですが

 

もうだめ

子供が頑張ってると思うと

アニメもなんでも関係なく

号泣する

子供を産んで変わったことは

涙腺のはんぱない緩み

 

ほんとさ、こんな

変身ヒロインアニメの台詞なんて

大方綺麗ごとなわけだけど

 

でも、子供のころに夢をもって

大人になる過程の中で

様々な経験をして

間違いや理不尽を知って

キラキラしていたそれらを

綺麗ごとだと学び

 

挫折や絶望を知って

そこから前へ進もうとしたとき

綺麗ごとの意味を知る

 

綺麗ごととは

美しい言葉であるからこそ

綺麗ごとなんだ

そうであることに

意味がある

最近、思うこと

 

一周まわってみると

そうなんだよな、て。

 

ある程度の経験をしたら

その言葉が

薄っぺらくて軽くみえる

その言葉が、その言葉を貫くことが

どんなに尊いことか知る。

 

つらいときは逃げていい。

私はそう思う。

でも、逃げたことに後悔してしまうなら

己を欺くことになるなら

逃げずに守らなきゃならない事もある。

それで守れるものが多分

己にとって価値あるもの。

守りたいもの。

それをもてることが

守れる何かがあることが

一人でないと知ることが

どんなに尊いか。

若さが残るあの頃は

受け入れられない言葉だったし

本当の意味を分からなかった。

 

世の中に救いなんてない

私に生きる意味なんてない

生きているのは恩があるからで

私が死んだら迷惑をかけるからで

いつでも死んでいい

そう思ってたあの頃は

多分、本当に、すぐ死ねた

環境さえ整えば

迷わなかったと思う

 

それはかなしいことだったな、と

今にしてみれば思う。

ひとりぼっちだって思ってたのに

ひとを裏切ることは怖かったんだな。

ひとを傷つける勇気がなかった。

 

 

今は死ねない

生きているのは痛くて

つらくてこわくて

悲しいことばかりで

生きているだけで

ひとを傷つけることも

あるってわかってても

私が逃げてしまったら

子供も

旦那も

傷つけてしまうから

 

ずっと笑っててほしい

ずっと一緒にいたい

ほかのどんなものを捨てても

ほかのどんなものを傷つけても

私は、私の心に住み着いている

得体の知れない寂しさで

大切なものを傷つけることは

したくないと思うので

 

今日もなんとか生きる。

私で業を終わらせるために

生きていかなきゃな、と思う。

叶うなら大切なひとたちと

幸せになるために。