ひとりごと

にしくん適応障害らしいんだけど育児出来るの?っていうブログ

幸せにしたい

ずっとずっとずっと

幸せになりたいって思ってた

幸せになっちゃいけないとも思ってた

 

今で充分って言いながら

頑張れば伝わるはずと思い

その度に分かり合えないことが悲しくて

 

今、幸せだと思う

手放しちゃ駄目だと思う

でも私は

そういう顔出来ているかな

いつも悲しい顔してないかな

 

私の幸せのなかに

笑っている旦那と子供がいなくては

駄目という事と同じように

 

旦那と子供の幸せにも

私の笑顔が必要なのではないかって

やっと、少し、思えるようになった

 

きっとまた忘れて泣くけど

ここに書いて思い出したい

 

多分、人生で初めてほんとうに思ってる

幸せにしたい

大切な人を幸せにしたい

幸せにしてもらうだけじゃなくて

一緒に幸せになってほしい

 

旦那の思う幸せが

やっと少し見えた気がする

私はいままで、多分、それを

理想的で夢に近いと

信用できていなかったのだけど

今は、少し信じてみたい、と思う

 

 

きれいごとはきれいであらねばならない

いたい

こわい

でもみんなと居られなくなる方が

もっとこわいから

絶対に逃げない

 

某変身ヒロインアニメを

旦那と子供たちが借りてきて

子供と一緒に見てたのですが

 

もうだめ

子供が頑張ってると思うと

アニメもなんでも関係なく

号泣する

子供を産んで変わったことは

涙腺のはんぱない緩み

 

ほんとさ、こんな

変身ヒロインアニメの台詞なんて

大方綺麗ごとなわけだけど

 

でも、子供のころに夢をもって

大人になる過程の中で

様々な経験をして

間違いや理不尽を知って

キラキラしていたそれらを

綺麗ごとだと学び

 

挫折や絶望を知って

そこから前へ進もうとしたとき

綺麗ごとの意味を知る

 

綺麗ごととは

美しい言葉であるからこそ

綺麗ごとなんだ

そうであることに

意味がある

最近、思うこと

 

一周まわってみると

そうなんだよな、て。

 

ある程度の経験をしたら

その言葉が

薄っぺらくて軽くみえる

その言葉が、その言葉を貫くことが

どんなに尊いことか知る。

 

つらいときは逃げていい。

私はそう思う。

でも、逃げたことに後悔してしまうなら

己を欺くことになるなら

逃げずに守らなきゃならない事もある。

それで守れるものが多分

己にとって価値あるもの。

守りたいもの。

それをもてることが

守れる何かがあることが

一人でないと知ることが

どんなに尊いか。

若さが残るあの頃は

受け入れられない言葉だったし

本当の意味を分からなかった。

 

世の中に救いなんてない

私に生きる意味なんてない

生きているのは恩があるからで

私が死んだら迷惑をかけるからで

いつでも死んでいい

そう思ってたあの頃は

多分、本当に、すぐ死ねた

環境さえ整えば

迷わなかったと思う

 

それはかなしいことだったな、と

今にしてみれば思う。

ひとりぼっちだって思ってたのに

ひとを裏切ることは怖かったんだな。

ひとを傷つける勇気がなかった。

 

 

今は死ねない

生きているのは痛くて

つらくてこわくて

悲しいことばかりで

生きているだけで

ひとを傷つけることも

あるってわかってても

私が逃げてしまったら

子供も

旦那も

傷つけてしまうから

 

ずっと笑っててほしい

ずっと一緒にいたい

ほかのどんなものを捨てても

ほかのどんなものを傷つけても

私は、私の心に住み着いている

得体の知れない寂しさで

大切なものを傷つけることは

したくないと思うので

 

今日もなんとか生きる。

私で業を終わらせるために

生きていかなきゃな、と思う。

叶うなら大切なひとたちと

幸せになるために。

 

愛してるんだって

私といても楽しくないのかもしれない

結婚記念日のデートなんて

楽しみなのは私だけかもしれない

めんどくさいかもしれない

たくさん不安だったことが

たった一言で満たされていくのがわかる

嬉しい

すき

だいすき

すぐ情緒不安定になるけど

やっぱり信じていたい

貴方が好きだから一緒にいたい

ずっと好きでいたい

好きでいなくなるように

頑張ってみたけど

どうしても好き

いつのまにこんなに好きになったんだろう

これが依存に近いこともわかってる

私の存在意義をそこに求めてるから

すぐ苦しくなるってことも

わかってるけど

でもやっぱり愛されてたい

貴方に愛されてるならそれでいい

ずっとそばにいてほしい

そばにいさせてほしい

涙が止まらない

私も愛してる

存在を愛している

私の、子供の頃の写真と

むすめをくらべみると

なかなか、似ているな、と思う

 

私は子供嫌いだったけど

子供産んでからは

他所の子もかわいい!

子供かわいい!

って思えるようになって

子供好きなのだけど

 

その、写真の中の私だけは

醜くみえてしまう

 

むすめやむすこを見ていたり

よその子やテレビの向こう

スマホで見る子供の写真

そういうものをみて湧き上がる

愛でたい気持ちや愛おしさが

全く湧いてこない

何故ならそいつは

自分だから

 

代わりに

これじゃだめだわ

仕方ないわ

という

諦めに似た気持ちが出てくる

こんなだから捨てられるんだよな

こんなだから仕方ないんだよな

かわいくないから捨てられたんだよな

こんな小さい頃からかわいくないから

 

こいつだから

こいつが愛されるような

見た目じゃなかったから

 

だけど思うんだ

何より大切なむすめに

似ていると思うそいつを

ほんのひとかけらでも

愛おしく思えないのは

そいつがわたしであるからであり

むすめを愛おしく思うのは

むすめを愛しているから

 

小さな身体や幼い顔立ち

年齢や見た目で

可愛がっているのではなく

むすめだからこそで、

 

私はむすめの存在を

愛しているんだな

愛せているんだな、って

気づけたから

 

少し安心したのです

私はだめな親だけど

子供のことは間違いなく

愛しているんだって

 

だからその写真のなかの

醜くて疎ましいそいつは

たったそれだけだったとしても

存在して、役に立ったのかもね

そいつがいなきゃもしかしたら

わからなかった事かもしれないから

 

よかったね、幼かったわたし

醜いおまえが存在する意味は

少しはあったのかもしれないよ

おはよう

ワイパックスセニラン

 

おはよう

君たちがいないと

人間ですらいられない私。

 

私が適応できてないものってさ、

多分だけど

結婚生活なんじゃないの?

 

幸せな家庭に対しての

拒絶反応なんじゃないの?

 

 

わたしには無理なんじゃないの、そんなもの。

 

 

幸せってなに?

わたしはわたしの大切な人が

しあわせならそれでいい

でもそれでわたしがわらえてないのは

わたしは幸せじゃないってこと?

それともわたしのあたまがおかしいだけ?

わたしがおかしいだけなら

いまの状態は正常と判断してもよいのでは?

 

わたしのしあわせってなによ。

そんなのいらないから

人間でいたい

大切なひとたちを受け入れ続ける

それだけでいいから

きちんとできるようになりたい

自意識と自己を消滅させたい

そんなものがあるから駄目なんだ

私が生きていくためには

私が自己主張してはいけないはず

 

 

誰にも愛されるはずないんだから

それでも生きて行かなきゃいけないなら

なにものぞまず

なにもこばまず

受け入れる私でないと

誰かにとっての価値がない

 

価値がなければ捨てられる

捨てられたら今度こそ死のう

そのときが私の幸せなのかもしれない

必要とされず生きてしまった私の

最期の幸せ

 

 

大切にされたいなんて思うなよ

いまさら思うな

お前にそんな価値はない

価値がないのに生かされている

その意味をよく考えろ

生きているだけでいい

それだけで救われる人がいる

あとは普通の顔だけしてろ

そうすれば「どこか見えないところで

うまくやっててほしい」という

願望を叶えてあげることができる

いえでもそとでもわらってろ

ただわらってろ

それだけでいい

高望みするなくそぽんこつやろう

てめえに価値はねえんだ

価値がない

価値がない

価値がない

価値がない

無価値な存在が消費して生きていく

無駄を体現して生きている

せめて害にならないよう

 

もし

「誰かにとって

見えないどこかで

うまくやっててほしい」

そういう存在である私が

旦那にとっても同等の存在であったとしたら

 

私がここで生きている意味は

果たしてあるのでしょうか?

 

大多数の人間にとって

そういう存在である私が

旦那からもそう思われたとしたら

 

私生きていけないな

 

 

あの人もそうだったのかもね

あの人もだから死のうとしたんだ

私を置いて

その行為が私という存在を

圧倒的に否定するとも知らず

 

だから私は死ねない

あなたのために死ねない

 

あのときの絶望をまだ

たしかに覚えているから