ひとりごと

にしくん適応障害らしいんだけど育児出来るの?っていうブログ

存在を愛している

私の、子供の頃の写真と

むすめをくらべみると

なかなか、似ているな、と思う

 

私は子供嫌いだったけど

子供産んでからは

他所の子もかわいい!

子供かわいい!

って思えるようになって

子供好きなのだけど

 

その、写真の中の私だけは

醜くみえてしまう

 

むすめやむすこを見ていたり

よその子やテレビの向こう

スマホで見る子供の写真

そういうものをみて湧き上がる

愛でたい気持ちや愛おしさが

全く湧いてこない

何故ならそいつは

自分だから

 

代わりに

これじゃだめだわ

仕方ないわ

という

諦めに似た気持ちが出てくる

こんなだから捨てられるんだよな

こんなだから仕方ないんだよな

かわいくないから捨てられたんだよな

こんな小さい頃からかわいくないから

 

こいつだから

こいつが愛されるような

見た目じゃなかったから

 

だけど思うんだ

何より大切なむすめに

似ていると思うそいつを

ほんのひとかけらでも

愛おしく思えないのは

そいつがわたしであるからであり

むすめを愛おしく思うのは

むすめを愛しているから

 

小さな身体や幼い顔立ち

年齢や見た目で

可愛がっているのではなく

むすめだからこそで、

 

私はむすめの存在を

愛しているんだな

愛せているんだな、って

気づけたから

 

少し安心したのです

私はだめな親だけど

子供のことは間違いなく

愛しているんだって

 

だからその写真のなかの

醜くて疎ましいそいつは

たったそれだけだったとしても

存在して、役に立ったのかもね

そいつがいなきゃもしかしたら

わからなかった事かもしれないから

 

よかったね、幼かったわたし

醜いおまえが存在する意味は

少しはあったのかもしれないよ