ひとりごと

にしくん適応障害らしいんだけど育児出来るの?っていうブログ

お久しぶりです

低迷したり浮上したりの日々でした。

 

低迷すると頓服を

連続して飲まないと

気持ちを落ち着けられなく

なったりだったけど

 

昨日、今日くらいは

まあまあ普通かな、みたいな。

 

落差が激しいのは疲れます。

 

人に頼る、をしてみようと思い

精神的に参ってしまっていることを

身近な人に伝えてみた。

適応障害、と明言したのは

旦那以外には

学生からの友達ひとりと

ままともさんふたり。

 

伝えてみて思ったのは

みんな優しいなぁ。

優しい人ばかり。

 

適応障害って言われてどう思った?

って、私の気持ちを確認してくれたり

 

もっと早く言ってくれてよかったのに

って、心配してくれたり

 

私の周りには優しい人が多くて

ぎゃくに申し訳ない。

そんなに酷い症状ではないのですよ。

って、言うけど、きちんと

安心させてあげられているかなぁ。

もっと酷い症状のひと、きっと

たくさんいるし、その中でわたしは

比較的、治りやすい位置にいるから

そんなに心配しないで大丈夫って

少しずつ伝わるといいなぁ。

みんな優しいひとたちだから

多分いまはまだ、何を言っても

心配させてしまうから。

 

あと3人ほど、

学生時代からのお友達には

伝えてもいいかな、伝えられるかな

そんな気がしています。

逆に、親族にはだれにも

だれにも、言える気がしない。

多分、いろんな感情が、

ごちゃ混ぜになって、また

低迷してしまうから。

 

「こんな風になってごめんなさい」

「こんな風になりたくなかった」

「何のせいでこうなったか教えて」

「私のせいなのにごめんなさい」

 

それが一気にくる気がする。

そうなったら、また余計な

時間かかっちゃうからね。

 

自分の親族に対して

告白するほどの「信頼」が

もうわたしにはないんだなぁ。

自分の「弱さ」を露呈できるのは

「信頼」がなければ無理なんだなぁ。

 

そう最近、思いました。

逆に自分の弱さを露呈しても大丈夫と

思える人が、思ったよりも

たくさんいたことは

有り難いことだなぁとも思いました。

 

多分、私の適応障害

本当にそうであるなら

(正直、まだ疑ってるとこもある)

ずっと昔からだったのかもなぁと

最近、思います。

子供達が原因でこうなった、というより

こうなる素質があったのだろう、と。

 

こうなる素質を作ったものを

旦那は「私の親族」だと思っているので

旦那は親族たちが嫌いだと明言します。

 

そう言われるたびに

ほっとしてしまう、自分がいることを

ずるいなぁ、って、思ったりもします。

 

でもそれが正しい思考なのか

直すべき考え方の癖なのか

 

物事というのは複雑で難しい。