ひとりごと

にしくん適応障害らしいんだけど育児出来るの?っていうブログ

人に頼るということ

 

「この病気をにしくんだけで

どうにかしようとするのは、無理です。

旦那さんだけに頼る、というのも

多分無理だと思います。

頼れるところを、なるべくたくさん

作ってください」

 

先生はそう言っていたけれど

人に頼る、ということが

よくわからないんだなぁ

 

私が頼ったら、みんな

困るひとばかりだったから

上手に、人の負担にならずに

頼る方法を学び損ねてしまった感。

 

 

不思議だなぁと思うのは

人は不幸になりたくて生きてはいないのに

不幸になってしまうことがある

ということ。

 

私の場合はここで、多分

「誰かを頼る」という選択をしなければ

ならないんだというのはわかる。

 

私が産まれの割に

自分が恵まれていたと感じるのは

私が人並みに生きれるように

まわりが気遣ってくれて

私はいつでも自分を最優先に

選択してきたからだ。

 

家を出たときもそう。

共依存になることを避けたかったから。

 

私は、多分人生の分岐点で迷った時

「自分」を最優先してきた。

だから、あんなに良くしてくれた家を

簡単に出て行くことが出来た。

 

良かったことばかりでは、勿論

なかったから、というのもある。

 

あの頃、私は経験しなくてもいい

余計な経験をしてしまった。

でも、元を正せばそれだって

自分で選択したも同然なんだ。

「みんなに好かれたい」

「なるべくいい印象をもたれたい」

そういう浅ましい自分がたしかに

そういう経験を引き寄せた。

その結果、人を不幸にした。

 

私は、私のせいで

不幸になった人を知っている。

一人や二人ではない。

私がいなければ不幸にならなかった人が

たくさんいたなぁ、と思っている。

それは、昔から。

 

そうか、だから私は昨日

「いなくなりたい」って泣いたのかなぁ。

子供や旦那を不幸にしたくないって

思うもんなぁ。

 

私はいま、とても幸福だから

どこかで、多分だけど

人を不幸にしてきた

ばちがあたるのでは、と

思い続けている。

 

 

 

父が言っていた。

お前には東の神様がついているから

困ったら東に祈りなさい。

 

だから私は困ったとき

東に向かってお祈りする。

神様や宗教は信じてないんだけども。

 

神様

私に差出せるものは何もないけど

できれば、私の子供たちに

私のわるいところが影響しませんように。

 

 

人に頼れないから

神様に頼るなんて、むしろ

図々しいのかもしれないね。