ひとりごと

にしくん適応障害らしいんだけど育児出来るの?っていうブログ

最近忙しいな

夜は子供達と力尽きてしまって

昼間は忙しくて書く時間がない

 

ここ数日、たくさんの人たちが

私のこと気にしてくれてて

遊び誘ってくれたり

気晴らしさせてくれたりするのが

すごくうれしかったり

ありがたかったりした話

かきたかったんだけど

 

でも誰かに頼れば頼るだけ

「返せるものがない」

「何か返さなきゃ」

「返せないなら自分でなんとかしなきゃ」

って思う。

 

人にあった時って

ほんとその時はすごく楽しくて

笑いまくるし普通に話せるし

適応障害とか全然見えないと思う

私もそのときの自分は別人だと思う

 

でもそのあと

気を遣わせたかな

変なこと言わなかったかな

みたいな虚脱感がすごい

仕事後の虚脱感と似てる

 

なんだろう

 

適応障害じゃないのでは?

最近そんな感じがする

何に適応できてないのかわからない

育児?ほんとに?それだけ?

 

たしかに育児は大変だけど

病気とかじゃないのかも

子供達うんぬんより

 

ただ、ただ、私の人間性が問題なのでは?

病名ついて甘えてるのでは????

 

だって、そう思わないと、なんか

人生に適応できてない、みたいな

そんな気持ちになる

そうすると、すぐ死にたくなる

いなくなりたいってなる

 

わたしがおかしいこと

病気のせいにしたいのは

絶対的な本音だけど

私の、これは、ほんとに、病気なの?

 

でも、病気じゃなかったとして

私の人間性が駄目だったとして

どうすれば普通の人間になれるのか

もう考えるのも疲れた、とこはあるよね

昔から考えてるもんね

 

それなら適応障害に甘えて

おくすり貰って

まわりのひとたちには

「元気だよ!治ったよ!大丈夫!」

っていえば何も問題ないのでは?

誰にも迷惑かけずに済む

「だれか助けて、私のこと知って」

って思いさえしなければいいんだから

 

私がどうなろうと

誰も知らなければ、それは

なかったと同じだし

私が人間でいられなくなるときは

おくすりのめたらいいのでは?

 

結局問題なのは

病気かそうでないか、ではなくて

人間でいられるかどうか、であって

誰かから見て「ああ、にしくん

大丈夫そうだな、問題ないな」って

思ってもらうことであって

 

もっと強いおくすり、欲しいなぁ

すっげー元気でるやつ

落ち込む暇もなくなるやつ

でも、多分、そういうのって

「いけないおくすり」の方が

効力が強いんだろうな

 

そこまで人生ささげる

勇気はないなぁ

多分別のベクトルで

大丈夫に見えなくなっちゃうし

 

頑張るしかない

普通に見えるように

それはいままでと同じこと

結局変わる必要なかった

私が頑張って普通になればいいだけ

それがみんなにとっていちばん

楽で、面倒かけなくて、最良

 

誰かのために生きていきたい

自分のことなんか、考えたくないよ

考えるだけ無駄だから